<第三十七話>赤の水玉模様を着込む少女 Dolly Varden(下)

出会いへと

首に掛けたタオルで汗を拭うと 訪れた静寂。。
右手奥からは ドッドッドッ・・と 直爆の落水音が
地響きを伴いながら届く ”あれか?”登って来た
主尾根から張り出し枝別れした小尾根 あそこに
出たなら 滝の頭へと降りれそうだ 目標を定め
そちらへと向う。。 どんどん高さは増して行き
もう直ぐ もう僅かばかりで人目に触れる事無い
閉ざされた世界がこの視線に飛び込んで来る
立入る前覚悟してた通り その奥地は見事な
V字で 両岸は切り立ち高み向け伸び上がる
どちらからもザイル無しでは 降り立つ事さえも
侭成らなく 更に確保点さえも見当たらない様だ
もう一段上がり覗き込むと見えた景色は 中段で
ワンクッション  飛沫を飛ばし小振りな壷へと
勢い良く吸い込まれた滝が現れる 下の直爆に
比べこの滝は 汚れ気味の白く脆い岩盤で形成
されでいる 
次第にそこいらの全貌が明らかに成り出した 壷から吐き出された流水は 胸丈程の落差で次の落ち込みに続き
蛇行を繰り返し後方の 直爆へと吸い込まれていく むせ返るような苔むした緑の中にざわめく渓は 如何にも
さぁ何遣ってんだ 此処に来たかったんだろぅ” そう語り掛けて居るかの様だ しかし私は中々次の一歩を踏み
出せずに居た? 立ち尽くす小尾根は其の侭下へと直爆方向に伸びて行き右肩と成る 上がって来た尾根を更に
辿り高度を稼いで上の滝頭に降りたとしても 直登は不可能だろうし 戻りのルート其れさえ失われ兼ねない。。
擂鉢状に広がる斜面は 中央に楢だろうか巨木が一本残るのみで 更に具合の悪い事には一面草付きときてる
フエルト底の足袋ではつるり足を獲られ あっという間に谷底まで運ばれてしまうだろう ”此処しか無いか。。
自らを言い聞かし 手掛りも無い正に痩せ尾根 足元の石を蹴落として遣ると カン コン コーン。。 弾む音が
段々小さくやがて聞こえなく成った ”ゴクッ!”生唾を飲み侭よとばかり 平均台渡る要領で一気にクリアしてやる
谷底への残り10mばかりは 草付き斜面をずり落ちの滑り台宜しく降り立った 此処まで来たというに今更ながら
戻りのルートの不安が意識の隅に 良くしたもので下りに比べ登りは 手掛りが見つけ易く幾つかの使えそうな
ルートを見つけるのに そうは時間は要らない 何まだ若かった時代 溢れんばかりの気力体力 それに自信と
身軽さを持ち 何事にも遅れを取る等考えさえしなかった 若さとはそれだけで実に頼もしいもので 不可能を
可能へと代えてくれる 無謀の判断と紙一重なのは 辛苦を嘗め尽くした今だからこそ言える事なのかもしれない

直爆頭から身を乗り出し覗き込むと ”うえっ 高い!” 見上げたより更に高さを感じさせ そそくさと上流目差す
果たして此処に魚は潜んで居るのだろうか? バシャ バシャ 荒っぽい遡行にも 一向に魚は走らない???
竿を出すのも忘れ あっという間に行き止まり滝の直ぐ下まで進んでしまった  さほど広い壷では無いのだが
暗く深い渓水を保ち その内部を窺う事は出来ない  あれ程気に成って居た 未知の源流で渓魚の有無さえも
事ここに至って そう大きな問題とは捕らえていない自分に気付く 淡々と竿を出し何時もの仕掛けを結び付け
大き目の錘を噛み 一気に底まで沈めて遣ろう  ヒュッ 障害物の無い壷向けて打ち込まれたラインは水圧で
勢い良く底へと導かれ静止すると時間が止まった!   
自分が今何をしてるのかも失念する そんな事が時々ある    新たに時を刻み出すのは 何者かによって
激しい引き込みが 竿先に加わった瞬間  思い掛けない大胆な登場につい次の動作も忘れ眺めてしまった
おぃ何遣ってんだ!”何処かで叱りつける自分が居る  わっ!とばかり大きくしゃくり合せを呉れても ズン!
手ごたえを残し動かない 大地を掛けてしまったのか? 重々しい感触 うっ動かない。。  数秒後滝壷内の
奴は 滅茶苦茶に水底を暴れ出した ”うえ岩魚とちゃうんか?” 人気の無い場所で何やらとんでもない化け物
にでも出合ってしまったのか?? あっああっ。。何も出来ず狭い渓底を振り回される 無意識に後退りしたようだ
それに引かれ抜き出されたこの滝壷の主は小豆色 朱点が目立ち大きい体側一面に点在 ヌルリ?だったか?
ガバッだったか 覚えが無い?? 下の落ち込み向け岩から乗り越し落ちたのは 見覚えの無い赤く鮮やかな
大き目の斑点 身体の模様は失われ体高は豊か 此れを岩魚と呼ぶには?? 思わず見た事も無い筈の魚名を
口走って居た  ”えっ?どっどっ どりーばぁでん。。?

隔離された空間で稀に出会う岩魚 それは一般に余り知られない容姿で現れた事も 何度か有りました
この舞台源流に生息の在来種にみる体側中心に集中する筈の橙斑点が 全身に広がり鮮やかで体高が豊かで
体色は小豆色と言うのか 全身赤身帯びた焦げ茶 後に出会った釣友はその抵抗の激しさから 手にするまで
谷アマゴの超大物と信じて疑いませんでした Dolly varden 19世紀中頃 チャールズ テッケンズが書き下ろした
Barnaby Rudge に登場の 何時も赤い水玉模様の洋服を着た少女 そこから何時かドリーのようなと例えられた
米国大陸のオショロコマ種公称に 直結した出来事で有りました 快活なドリー少女とは似ても似つかわしくない
性格と環境に潜む岩魚ではありましたが 忘れる事の出来ない一場面です

                                                       oozeki